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学校の作り方

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事業期間中は、なかなか進捗状況の報告をすることが出来ませんでした。
すでに事業は完了していますが、2月~9月まで作業工程の軌跡を、大雑把に紹介したいと思います。(各写真をクリックすると、大きい画像でご覧いただけます。)



入札風景
1.業者の選定
建設を始めるにあたり、ラリベラ市の財務局にて、公開入札を行いました。
その結果、全ての審査基準を満たし、一番低い価格を提示した、シサイ・ブラハヌ氏と契約をすることが決定しました。


整地作業1
2.整地作業1
建設業者を決定した後、建設予定地の測量をし、整地作業をしました。
計画段階では、地域住民が無償で労働力を提供してくれるという約束だったのですが、諸事情により、この作業はFFFで行いました。


整地作業2
3.整地作業2
この校舎の基礎部を作るために、深さ50cmほどの溝を掘ります。
石がちのこの場所を掘るのには、大変な苦労が伴いました。掘ったそばから、硬い岩盤にぶつかります。


石集め
4.石集め
建設には大量の石材が必要になります。ちょうど、ラリベラ市では公共工事の道路整備があったため、石材の確保が難航。ラリベラ周辺をトラックで走り回りました。こういう石材は全て、地面に埋まった岩を、人の手で砕き、運びます。


大量の砂と砂利
5.砂利と砂の調達
コンクリート工事のための、砂利と砂を運びます。砂は15kmくらい離れた川辺からトラックで運び、砂利は人々が黒石をハンマーで砕き作ります。質の良いものを調達できるように、基本的に毎回現場でチェックをしてきました。


基礎部の石積み
6.基礎部の石積み
地面の下に埋まる基礎部は黒石を積んで作ります。一番大切な部分なので、質の良い黒石のみで作っていきます。一方、地面より上は、見た目がよく、比較的形成が楽な白石を使いました。この石の質にもこだわりました。


基礎工事
7.基礎工事1
人々は大きな石を大きなハンマーで砕き、調度良い大きさに整形します。そして重い石をすべて人の手で運びます。僕も、時間があるときには、一緒に作業をしてみましたが、本当に大変な作業です。


基礎工事2
8.基礎工事2
すこしづつ基礎部が見えてきました。作業を止めてしまわぬよう、良質の石材の供給に奔走しました。しかし、なかなか思うように石材が集まりません。また、この作業にはコンクリートのために大量の水が必要になりますが、乾季のこの時期、水の確保も容易ではありません。


基礎工事3
9.基礎工事3
石を積み上げ、セメントで固めるという作業を繰り返し、地下50cm、地上は50cm~1mの高さまできました。この作業に2ヶ月以上を要しました。


ナクテラブの人々
10.ナクテラブの人々
厳しい日差しの中、みんな良くがんばってくれました。ある程度、作業に区切りが付いたときには、彼らの好きな、タッラという地ビールを差し入れ、労をねぎらいました。


黒土の除去
11.黒土の除去作業
この場所の地盤は、岩と黒土でした。黒土は比較的やわらかいため、基礎部にはふさわしくありません。黒土を充分な深さまで掘り、変わりに赤土を入れて固めることにしました。


赤土の採掘
12.赤土の採掘
基礎部に使う赤土を掘るために、1kmほど離れた場所の山の斜面を掘りました。この時期は非常に風が強く、この作業も難航しました。その甲斐もあり良質の赤土を供給することが出来ました。


赤土での基礎作り
13.赤土での基礎づくり
基礎部をかなり掘り下げたので、必要な赤土の量も相当なものでした。トラックで何往復もしながら、赤土を運びました。


赤土をひたすら固める
14.赤土をひたすら固める
トラックで運んできた赤土を基礎部にいれ、水をかけながら少しづつ固めていきます。現場リーダーのタガネ(黄色いTシャツの人)のキャラクターのおかげで、楽しく作業が出来ました。


柱づくり
15.柱作り
基礎部がようやく出来上がり、次は柱を立てました。コンクリートに毎日水をかけることで、強度を高めます。とくに柱には、麻の布をかぶせて水をかける作業をしました。合計20本の柱を立てました。


床に鉄筋を入れる作業
16.床作り
柱が出来上がった後は、床になる部分に鉄筋を入れる作業です。この鉄筋は、基準よりも少し多めに入れました。この学校の床は贅沢にタイル張りにする予定なので、これで強度は充分です。


セメントを混ぜる
17.セメントを混ぜる
この建設には、実に40トン以上ものセメントを使いました。セメント価格が計画時の4倍近くまで高騰していたので、予算面でずいぶん悩まされましたが、セメントの量を削って、建物の質が落ちてしまっては元も子もないので、なんとか予算と折り合いをつけながら、事業を進めていきました。
ちなみに、このセメントを混ぜる作業、かなりの重労働です。


床作り
18.床作り
床部に鉄筋を入れた後、その鉄筋に沿ってセメントを入れていきます。水と砂を混ぜたセメントは、担架のようなもので、運びます。この担架も現場で作りました。


柱の次は壁
19.床の次は壁作り
床の基礎が完成した後は、いよいよ壁を作ります。シリンカという町から買ってきたブロックを積み上げていきます。ちなみにこのコンクリートブロックの調達にも、ずいぶんと泣かされました。
シリンカまでは片道6時間の山道ですが、何度もこの場所まで足を運び(2度は日帰り)ようやく調達が出来ました。


壁作り
20.壁作り1
政府の検査をクリアした、上質なコンクリートブロックを約3000個使いました。基礎部分には時間がかかりましたが、壁作りの作業は一週間ほどで完了しました。壁が出来ると、いよいよ建物らしくなってきます。


壁作り2
21.壁作り2
左側に写っているのが、この時期の現場リーダー、カルです。タガネもそうでしたが、彼らは現場の近くに家を借りて、建設作業に取り組んでいました。カルには、よくコーヒーや、食事に招待してもらいました。なかなかの料理上手。


屋根の骨
22.屋根の骨
床や柱を作る作業と同時進行で、屋根の骨をくみ上げていました。これを壁の梁の上に乗せ、トタンの屋根を作ります。材質はユーカリの木です。


コンクリートへの水やり
23.壁の水やり
他の作業同様、水をかけることで、コンクリートの強度を高めます。建設中の安全には気をつけていましたが、壁が出来てからは、とくに危険な作業が増えてきました。幸い、建設期間中に深刻な事故はありませんでした。


屋根を乗せる
24.屋根を乗せる
いよいよ屋根が乗り、ゴールが見えてきました。雨季前の完工を目指していましたが、この時点で雨が少しずつ降り始めてきました。本格的に雨季に入る前に、屋根を完成させなければなりません。


屋根をつくる
25.屋根を作る
ユーカリで作った骨組みに、トタンを打ち付けていきます。アディスアベバで調達したトタン板には、注文したものよりも薄いものが混ざっていたので、基準以下のものを取り除き、やむを得ず、数枚のトタンを買い足すことになりました。


ドアと窓
26.ドアと窓
ドアと窓は、ラリベラの鉄工所で製作をしました。他の高額な資材と同様、エチオピアの法律に則り、公開入札を行い、条件の良い入札者と契約を結びました。子供達の勉強机や、蛍光灯などの設備関係もすでに、調達が完了しています。


完成までもう一歩
27.完成までもう一歩
いよいよ、ゴールが見えてきました。ここまでくれば、後は最終仕上げの作業と、電気配線関係の工事のみです。アディスアベバで調達しておいた、床タイルも順次貼り付けていきます。


階段作り
28.階段づくり
各教室の前に階段を作りました。緩やかな斜面に作った校舎なので、水平にするためには、とうしても片側の基礎部分は高くなってしまいます。小さい子供達が怪我をしないように、緩やかな階段を作りました。


壁の仕上げ
29.壁の仕上げ
壁にはきめの細かいセメントを何層にも重ねて塗っていきます。また屋根のふちには雨どいを設置。校舎の周りには排水溝も作りました。いよいよ完成です。


教室内
30.教室内
教室の窓は大きめに作りました。天気の良い日は気持ちのよい光が入ってきます。また、床にはタイルを敷き詰めました。授業中の机の移動で壁がダメージを受けないように、保護する木材を貼り付けています。室内の装飾は非常にシンプルですが、子供達にとって、良い学習環境になると思います。


校舎完成1
31.ついに完成1
最終段階の仕上げ作業は、ほぼ注文どおりに仕上がりました。森作りを本業とするFFFのイメージにあわせ、壁の色は緑色にしました。室内のクリーム色の壁は、子供達が落ち着いて勉強を出来るようにと、落ち着いたやわらかい色を選びました。教室の入り口側の壁には、これから、子供達が絵を描くことになると思います。


校舎完成3
32.ついに完成2
この校舎は1棟4教室、各教室には3人がけの勉強机を予備も含めて30脚づつ、教師用の机と椅子を1脚づつ設置しました。また、夜間の教室にも対応できるように、こちらの学校には珍しく蛍光灯も設置しています。タイル張りの床に、コンピュータ用の電源、ドアの鍵はイタリア製です。採光のための窓も大きめにとりました。一般的なラリベラの基準に比べて、レベルの高い校舎になっています。


校舎完成2
33.ついに完成3
僕が子供の頃は何も考えずに通っていた小学校。それでも、その小学校の建物の雰囲気は今でもしっかり覚えています。これから、ここで学び、巣立っていく子供達にとって、大切な場所になってくれればと思っています。



ちなみに、この学校の目に見えないところ、いたるところに、僕の隠しサインがあります。屋根の上とか。せめてもの記念です。何十年後かに、再びこの場所を訪れたときに、それを探すのが楽しみです。

学校建設事業が完了しました

ナクテラブ
学校建設事業、無事完了しました。

10月14日を持って、「ラスタ県ナクテラプ地区における初等教育の質的改善事業」つまり、学校建設事業が完了しました。

先週、政府学校への書面での引渡しも、もめていた業者への支払いも無事終わり、今はすでに子供たちがこの校舎で勉強をしています。今後は、アディスアベバから監査人を招いての会計監査や、外務省、現地政府への事業最終報告などがあります。

さて、この建設事業を振り返ってみると、本当にきつい仕事だったとつくづく思います。我ながらよくこなせたものです。もう一度やれといわれても、たぶん、もう無理です。

基本的には、こうした建設事業は業者に資金を渡し、作業のすべてを任せるのが一般的です。しかし、資材価格の高騰するエチオピア、予算管理と、資材管理のリスクを防ぐためにも、今回の事業では、資材調達から、現場管理までをFFFが一貫して行いました。

また、現在エチオピアで活動するNGOには、事業費支出のうち、人件費、事務所借料なのどの管理費を30%に抑えなければならないという規則があります。2008年度の管理費が50%近くになってしまっていたうえに、今年は事務所の借料を2年分前払いしているので、2007年~2009年の総支出でこの規則を守るためには、新規雇用を控えなければなりませんでした。そのため、僕自身も普段の事務所の管理業務に加えて、毎朝現場に出て状況を確認しての資材管理、毎週末は資材調達に走り回っていました。何か問題が起きるのが当たり前の日常でした。

現在ラリベラの他のNGOが行っている校舎建設は、事業開始からすでに1年半が経過していますが、まだ壁作りの段階です。しかも聞いた話では、現段階ですでに1,000,000ブル(1千万円)の赤字だそうです。物価上昇の激しい、今のエチオピアでは建設事業はかなり厳しいものです。

それを期日内に、予算内で質の高い建物を作れたのは、現地スタッフのがんばりと、政府のバックアップのおかげだったと思います。

今はすでに、次のプロジェクトも始まっています。
まだまだ、これから、がんばっていきたいと思います。


ラリベラ便り#8

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-風の渡る大地-

8月中旬から1ヶ月ほど、日本に滞在していました。

今年はまさに年中無休で事業に取り組んできたので、今回の2週間の休暇は、ようやく仕事のことを考えなくても済む、とても貴重な期間でした。この限られた時間を有効に使おうと、帰国前にはあれこれと計画を立てていたのですが、結局はほとんどの時間を地元の鎌倉で過ごしました。心身ともに予想以上に消耗していたみたいです。

特別何をするでもなく、鎌倉の潮風の中でゆったりとした時間を過ごしていると、エチオピアでは何故あれだけ頑張れていたのか、つくづく不思議に思いました。

この先10月から年度末にかけては、山のような仕事が待っています。帰国が近づくにつれて、徐々に気持ちが重くなっていきます。それでも仕事はいつまでも待ってはくれません。9月16日には鎌倉を旅立ち、20日の夕方にようやくラリベラに戻ってきました。

今回はアディスバベバからの国内線航空券が取れなかった為、陸路でのラリベラ入りでした。700kmの道のりを2日間かけての移動です。飛行機を使えばあっという間の距離ですが、こうして陸路で移動をしていると、ラリベラが「陸の孤島」と呼ばれている理由を改めて実感します。なかなかハードな道のりでしたが、移動の道すがら、窓の外に広がる景色は本当にきれいでした。雨期明けのエチオピアは、乾季の憂さを晴らすかのように、見渡す限り緑の草と黄色い花が生茂ります。

緑があるのとないのでは、景色も人も、自分の気分も、ここまで変わるんだなぁ。と、そんなことを思いました。あと数週間すれば、こうした草花は徐々に枯れ、また厳しい季節がやってきます。雨季の最後の輝き。それを肌で感じることができてよかったです。

さて、僕が日本の景色で特に好きなのは、風に波打つ稲田です。昔京都の外れで見たそんな田園風景は未だに心の隅でゆれています。そして、ラリベラに戻ってきてすぐ、そんな景色をこちらでも見ることができました。

よく育ったテフの穂が風になびき、ゆるやかに波打つ陸の海。
輝く日差し、柔らかな空気。小鳥たちは空に向かって飛び立ちます。

そんな穏やかな景色の中に立つと沈みがちだった気持ちが、ふっと軽くなるのがわかりました。

一ヶ月ぶりのラリベラはこんな素敵なやり方で、僕の帰国を歓迎してくれました。現地での任期も、あと、一年。全力でいきます。(2009年7月)

有機ゴミの堆肥化

sanitary landfill

事務所の庭で実験中だった、有機ゴミの堆肥化用の穴からマンゴーの木が生えてきました。

今月から、いよいよ新規事業が開始します。JICAのNGO草の根技術協力事業という資金供与プログラムで実施される、大規模な植林事業です。三年間の事業期間内に150万本の植林をするという壮大な計画になります。

150万本といっても、あまりピンとこないかもしれませんが、フー太郎の森基金の日本事務局のある相馬市の人口が約4万人ですので、相馬市民が一人あたり38本の木を植えた場合とほぼ同じ数になります。正直、とんでもない数字です。しかも現地で植林ができるのは、一年のうちに雨季開始後の約1月ほどだけです。来年の7月が勝負の時となりそうです。

さて、この事業のテーマは、ずばり、地域参加型循環型農林業。
この「循環型」で鍵となるのが、ごみから作る堆肥です。ただ単にお金を投入して木を植えるのではなく、年々、衛生環境が悪化しているラリベラのゴミを住民たちの手で堆肥化し、植林に使おうという計画です。

日本では当たり前のごみ収集サービスも、ラリベラにはありません。村人たちは各村に掘ったごみ処理用の穴(4mx4mx2m)に、ごみを捨て、穴が満杯になったら土をかぶせて埋めます。このときに、ごみの分別は全くされず、金属だろうと、プラスティックだろうと、何でもかんでも埋めてしまうので、環境に対する負荷も、かなりのものになります。その為、このゴミをしっかりと分別し、有機ゴミから堆肥を作れればと考えています。

当然、こうした事業を実施するときに、それが本当に技術的に可能かどうか、色々な方法で検証をします。実際、去年からは各村にゴミ処理グループを組織し、彼らを主体に、衛生問題に取り組む、パイロット事業の実施もしてきました。また、ゴミの堆肥化について、それが本当に実用できるのか、事務所の庭に穴を掘り、個人的に堆肥作りをしています。1m立方くらいの小さな穴に、家庭から出た生ゴミを捨て、乾燥を防ぐ為に麻の袋を上にかぶせました。そして、水やりを週に一度、月に一度かき回す作業をしています。

すると、僕が日本に帰っている一ヶ月の間に、この堆肥からマンゴーの木が生えてきていました。ゴミに混ざっていたマンゴーの種が芽を出したようです。マンゴーのようなフルーツの木は2500mの高地では、ほとんど育ってくれない木です。(ラリベラにあるフルーツは、低地で取れたものを運んできたものです。)それが元気に育っているということは、ちょっとうれしい驚きです。実際この堆肥穴からは、マンゴーだけではなく、ジャガイモや、玉葱、唐辛子など、ゴミに混ざっていた種がいろいろと芽を出してています。生ゴミ堆肥は、うまくやれば、実用が可能だということが分かりました。

とはいえ、これを家庭レベルではなく、コミュニティーレベルでやるとなると、一気に難易度があがります。ゴミの種類も違いますし、人々の日常生活の中での意識を変えていくことは、非常に時間と労力のかかる作業です。ゴミを堆肥化するにあたり、少しでも電池や、薬品などの異物が入るとかえって土をい為る原因にもなってしまいます。正直なところ、技術的にも、住民の意識的にも、相当に難しいと思っていましたが、庭に生えたこのマンゴーに、ちょっと勇気付けられました。

事業の初年度にはいろいろあるかとは思いますが、できるだけ前向きに、取り組んで意向と思っています。

そして、このマンゴーの木も、しっかり育てて行きたいと思っています。

完工式が無事終わりました。

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9月21日。
ナクテラブ地区のカッチンマスク小学校の完工式が無事完了しました。

日本大使館からは駒野大使と舛田書記官、ラリベラ市からはラリベラのムルゲータ市長をはじめ、多くの政府関係者、地域住人や子供たちに出席をしていただきました。当日は、ナクテラブの村で大きなお葬式があったため、タイムスケジュールに若干の混乱もありましたが、とても良い完工式になりました。

さて、校舎の建設自体は昨日を持って、無事完了ということになりましたが、本当の成果が出るのは10年後、20年後になると考えています。この校舎で学び、遊び、成長していく子供たちがエチオピアの未来を作っていきます。その未来が明るいものになるよう、これからも政府、地域とともに教育の質の改善に取り組んで行きたいと思います。



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新校舎前面①1棟4教室の校舎です。
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新校舎前面②小さな子供のために緩やかな階段を造成しました。
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教室内 備品の質も重視し、快適な学習環境を目指しました。
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完工式 ラリベラの学生たちが歌と踊りを披露してくれました。
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子供たち エチオピアの未来です。

ラリベラ便り #7

影

―情熱の行方―

白毛と栗毛。週末のマーケットでヤギを2頭、買ってきました。

学校建設もいよいよ最終段階。仕上げの工程に入れば、あとは専門技術を持った職人さんたちに作業を任せることになります。一緒に建設に取り組んできた村人たちとの作業もひとまず終わりです。乾季の厳しい日差しの中、決して楽な仕事ではありませんでしたが、みんなよく頑張ってくれました。そんなわけで、今までの村人たちの労をねぎらう為に、彼らに2頭のヤギを贈ることにしたんです。作業の進捗状況を見て、週末あたりに、村のみんなで一緒に食べようかと思っています。

さて、先日、ナクテラブでの仕事を終え、ラリベラへと戻る道すがら、山の上から完工間近の校舎を見て、ふと、涙が出そうになりました。そして、そんなセンチメンタルな自分に少し驚きました。まだ校舎が完成をしたわけでもないし、やるべきことは他にも山済みの状態です。感傷的になって立ち止まっている暇なんかありません。

それでも、ノスタルジックに染まった空の色のせいか、ラリベラに赴任してから一年半の間の出来事や、日本にいるときに考えていた事、やりたかった事、ずっともがき続けてきた事なんかが次々と思い出されました。

そういえば、昔、あるテレビ番組で、自分の仕事で涙を流す人を見ました。その人は百貨店の売り場責任者で、自分の企画したキャンペーンが成功し、喜びのあまりに泣いてしまったようでした。

僕にとって、それはある意味で衝撃的な映像でした。仕事で涙を流すこと。それがいまひとつ、自分には理解できなかったからです。醒めていると言われればそれまでですが、システムに支配された競争社会の中で、その一つの成果が、いったいどれほどの価値を持つのだろうかと。正直そんな風に感じてしまいました。しかし、一方で、自分の仕事で涙を流せるその人に妙に憧れた記憶があります。

そして今、ほんの少しだけその人の感覚が理解できる気がしています。全力で取り組んできて、ようやく出せる結果。さすがにまだ涙は出ませんが、高い壁を乗り越えた時の達成感は、その壁の高さではなく、どれだけ自分が懸命になれたかによって決まってくるのだということが良く解りました。

とりあえず、週末には村人たちとおいしいヤギ料理を食べます。そして、もう一度気を引き締めなおし、自分の仕事や生き方にしっかり向き合っていこうと思います。(2009年7月)

植樹の準備が整いました。

Kankenit 02

2009年はカンカニ涵養植林の植林地拡大のために、土地の確保と、水遣りの確保に取り組んできました。

岩石だらけのこの地域では、まずは、なによりも土地の確保が難航しました。
農業に使える土地は、当然地域住人の畑として利用されているし、残りのかろうじて草が生えている程度の場所でも、放牧のための大切な土地になっているからです。

その土地に木を植え始めれば、もちろん農民は農作物を作ることはできないし、苗木の保護のため、放牧もできなくなります。地域住人にとっては、森林再生の重要性はわかっているものの、自分たち家族の生活を守らなければならないという事情もあります。

そうした中で、限られた土地を地域の将来のためにどう使うか。地域、政府、農業局専門家とともに、幾度も話し合いを重ね、ようやくある程度の広さの土地(約3ヘクタール)を植林のために手に入れることができました。とても植林に適した土地とはいえないものの、贅沢はいえません。

しかし、こんどは、その土地に木を植えたときの水の確保が問題となりました。交渉の末に確保した土地は、水源から2kmほど上った場所にあるため、労働者を雇っての水遣りがほぼ不可能です。また、仮に予算と人員を投入して水遣り行ったとしても、将来的な地域への引渡しのことを考えると、まったく現実的ではありませんでした。

そのため、スタッフと農業局とでアイディアを出し合った結果、新植林地からさらに2㎞ほど上った場所の泉、「ガベタウハ」から、1/2インチパイプを使って水を下ろしてくることにしたのです。水をおろしてくる、というと単純な作業に聞こえるかもしれませんが、これもまた簡単な仕事ではありませんでした。

まず、計画、測量をするのに、片道3時間の道のりを何度も往復し、パイプを引く土地の使用を住人にお願いをしました。そして、限られた予算のなかで計画と支出を何度も確認し、専門家日当や、資材価格の交渉の繰り返しです。ここでも、昨今の資材価格の高騰が大きな壁でした。

また、実際の工事に際しては、カンカニまでの険しい山道を、ロバや人をつかって、資材の運搬をしなければなりません。水がめを作るためのコンクリート工事では、百数十名の村人を動員して、缶に砂をつめて運ぶ、という人海戦術をとりました。そして、最終敵には、工事期間中にスタッフが村に寝泊りをすることで、なんとか、雨季に入る前、6月末に、この水道工事が完成しました。僕は、その場にいることができませんでしたが、初めて水が通ったときの村人とスタッフたちの喜びは、想像に難くありません。

さて、来週月曜日からは、いよいよ、2009年度のカンカニでの植林を始める予定です。当初の目標であった30,000本の植林は、利用可能な土地の限界により達成することが難しそうですが、カンカニに造成した苗畑農園では、45,000本の苗木たちがスタンバイ状態です。

一本でも多くの苗木が、カンカニの乾いた土地に根付くよう、スタッフと地域で力を合わせて、大切に植えて生きたいと思います。

水源涵養植林事業について

Kankenit 02

ラリベラからラバに乗って山を登ること3時間。標高3,200mの山岳地帯に、カンカニと呼ばれる村があります。このカンカニは、14,000人のラリベラ市民の生活を支える、大切な水源地帯です。

フー太郎の森基金では、この水源地帯の保水力を高めるため、2007年から涵養植林事業に取り組んでいます。水のために木を植える。非常に時間がかかりますが、いちばん確実な水源開発なのかもしれません。現在までに約2万本の木を植え、その多くが順調に育っています。

雨季に入りました!

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ラリベラは雨季に入りました。

例年よりもずいぶん遅い雨季の開始です。
ラリベラでは雨季に入ってから、一週間ほど連続して雨が降り、土が十分に水を吸ってから、木を植え始めます。先週の月曜日からは、ほぼ毎日雨が降っているので、ようやく明日あたりから今年の植樹をスタートできそうです。

2009年は、カンカニ水源に20,000本、市内に14,000本、3つの学校に合計4,500本の植樹を予定しています。それに加え、先週までに、すでにチバハの木を150本、ジェトロハ、ドドネア、サスバニアの直播き100㎡を終えました。昨年に比べると植樹本数も樹種も増え、実験的な取り組みもしています。

また、今年は去年までの反省を基に、植樹の前に、木を植える村人たちにしっかりと半日間の講習を受けてもらおうかと思っています。これだけの本数を植えるとなると、どうしても村から日雇い労働者を雇って植樹を行うことになるのですが、賃金労働となると、人々はお金のための仕事として木を植える傾向があり、数をこなすための雑な植樹になりがちです。

半日間の講習では、木の正しい植え方はもちろん、なぜ木を植えるのかということをしっかり伝え、この植林がFFFの仕事ではなく、地域の将来的な発展の基盤づくりであることを理解してもらえたらと思っています。

今週から学校建設も最終段階に入るうえ、例年よりも少人数で植樹をコントロールしなければなりません。各スタッフ、正念場を迎えています。

完工まで、もう一息です。

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いよいよ、今週、校舎に屋根が乗ります。

資材価格の高騰や、エチオピアでの一般的な建設スピードから考えると、一年では完工できないのではないか、とまで、いわれていた学校建設ですが、いよいよゴールが見えてきました。

日々壁にぶつかり続けてきた校舎建設事業ですが、なにより資材調達にはとくに苦労をさせられたなぁ、と、今になってしみじみ思います。

たとえば、2007年までは115ブル/100kgだったセメントが、現在では430ブル/100kgと、4倍近い値段になっています。また、申請時には255ブルだった生徒用の机が665ブルとこれも2.5倍に。その他の資材も、軒並み倍以上の価格上昇です。エチオピアではこうした物価の上昇のせいで、予算が大幅に狂い、建設自体が止まってしまうケースは珍しくありません。

それでも、週末を利用して近郊の町を駆けずりまわった甲斐もあり、現時点では、資材の質を優先事項としつつも、予算より幾分か支出を抑えることができています。作業自体は予定より1ヶ月ほど遅れてしまっていますが、1ヶ月の遅れで済んでいると言えるかもしれません。

*****

さて、今週、校舎に屋根が乗れば、後は最終仕上げの工程に入るため、この先は専門技術を持った職人達に作業を任せることになります。いままで、一緒に建設に取り組んできた村人たちとの作業も、ひとまず終わりです。

今週末には、村人たちの労をねぎらうために、市場で買っておいた山羊を贈り、ささやかな村人たちとの打ち上げを計画しています。色々とありましたが、彼らも本当に良くがんばってくれました。

完工まで、もうあと一息。
最後まで気を抜かずに、張り切って取り組んでいきます。

ラリベラ便り#6

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- 小さなルームメイトたち -

近頃、眠りが浅いんです。

こないだ聞いた話によると人は高地では眠りが浅くなるとのこと。確かに、毎日それなりに寝ている割には、寝起きがすごくしんどいし、よく夢を見ます。朝起きる時には、いつも今夜は絶対に早く寝ようにしようって、思います。でもこれは高地にいると言う理由だけではなく、実はこの家にすむネズミ達のせいでもあるのです。この家の天井裏には、4、5匹のネズミ達住んでいて、夜な夜な悪さをしていきます。小麦粉を食べたり、パパイヤやジャガイモをかじったり。こないだは、貴重な米を荒らしていきました。

そんな彼らの悪行に業を煮やし、先日、一匹のねずみをダンボール箱の中に閉じ込めてやりました。さて、どの様に料理してやろう。そんなことを考えていると、もう一匹のねずみがあたりをうろうろしている事に気付きました。普段なら直ぐに穴に逃げ込むのに―。もしかしたら親子か恋人なのかも…。そんな風に思い始めると、もう仕方がありません。箱のねずみは逃がしてやることにしました。それに、ねずみって結構愛嬌のあるかわいい顔をしているんです。

しかしながら、僕がそんな風に甘やかしたのがいけなかったのか、うちのねずみ一家、この頃、ほんとにやりたい放題なんです。行動が段々大胆になってきて、夜は寝床の周りで遊びまわり、しっかり安眠を妨げてくれています。しかも、朝になると予想もしていなかった意外なものをかじっていたりするので、夜でも音で行動を予測し、嫌な音がした時には電気を点けて窘めなければなりません。そんなわけで、寝ている時もなかなか気が抜けないのです。

食べ物関係はしっかりとケアをするようにしているので大して被害はないのですが、その分、食べ物以外の被害が増えてきました。ここ数日の間にかじられた物は、ダンボール、薬箱、ひょうたん、スポンジ、石鹸、ちりとり、羊皮の小物入れ、煙草、書類、靴下、壁、そしてマウスのケーブル。さすがに、書類や電子機器のケーブルまでかじられたら、かなり困ったことになってしまいます。そろそろ何か手を打たなければ。

それでも、やっぱり、何となく憎めないんです、あいつら。食べるものがなくって、書類とかケーブルとかをかじってみたんだろうなぁ。とか、思うと、少し食べ物を分けてあげてもいいような気分になってみたり。まぁ。そんなことしたら、ここがネズミ屋敷になってしまいますが。。。(2009年4月)

ラリベラ便り#5

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- ルサカの赤い影 -

2003年。ルサカで出会った一枚の絵が僕の人生に与えた影響は計り知れません。
その絵は南部アフリカの内陸国ザンビアの首都ルサカにありました。僕はその頃、南アフリカのケープタウンからエジプトのカイロを目指す旅をしており、道中、ルサカには一週間ほど滞在していました。一国の首都とはいえ、特に見所のないルサカ。もてあまし気味の時間を有効に使うため、その日は、ルサカ国立博物館に行ってみました。
二階建ての博物館にはザンビアの文化や歴史を紹介する展示品がテーマごとに並べられていて、なかなか見応えがあります。しかも、その日の客は僕一人。

静かな館内をのんびりと巡っていると、ふと、受付の傍に設置された特設コーナーが目に入りました。「子供の生活」と書かれた鮮やかな題目の下には、子供たちが描いた数点の絵が飾られています。何気なく近寄ってその絵を見てみると、児童虐待や幼児労働、暴力や貧困など、気の重くなるようなテーマの絵ばかりでした。

ちょっとしたショックを受けつつも、一枚一枚をじっくり眺めていると、ひときわ異様な雰囲気を持つ絵に目が止まりました。それは一見するとごく普通の絵です。伝統的な住居と森を背景に、十人ほどの村人が描かれているだけの何の変哲もない村の景色。それでも、やっぱり何かがおかしいようです…何だろう。

そう思いながらしばらく見詰めていると、徐々にその理由が分かってきました。絵の中に描かれた家族や隣人と思しき人物は一人ひとりがばらばらに配置されていて、みんな後を向いています。しかも、人物の影は全て濃い赤色で乱雑に塗り潰されているのです。それに気付いた時僕はその子供の心の深い部分を覗いてしまったような気がしました。そして、頭ではなく感性で、何とかしなければならないと悟りました。子供達にこんな絵を描かせてはいけないと。

その絵が心理学的に何を意味していたのかは正直、分かりません。ただ、その時の感情と衝撃はその後数年がたっても薄れる事はありませんでした。世界中の子供達が、みんな笑顔で、明るい絵をかけるような未来。そんな未来を作る事が僕達の大切な仕事なんじゃないかと思います。(2009年2月)

ラリベラ便り#4

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- 大きな木の下で ―
 
日曜日、溜池プロジェクトの状況調査のために、ガラソートという村へ行って来ました。わざわざ休日のこの日を選んだのには理由がありました。こちらの村々では、たいてい日曜日に村集会を開きます。多くの村人が集まるタイミングに合わせて直接話を聞くことが出来れば、より活きた情報を得ることができるのです。

朝8:00、FFFのプログラムオフィサー・シサイ、農業局の職員と共にガラソートに向け出発しました。ラフな道をフォードのレンジャーでガンガン突き進みます。追いかけてくる犬と子供を振り払い、約1時間30分ほどで、ガラソートにたどり着きました。

村の中心地では、村人達が大きなアカシアの木の下で集会を開いています。だいたい100人程度。予想以上にたくさんの人が集まっていました。集会の参加者は教会の神父さんから、聖なるパンを振舞われています。人の輪の中心では、村の代表と補佐の人が、何やら熱っぽくスピーチをしていました。この日の議題は「テフ泥棒は誰だ!」だそうです。(テフは、エチオピアの主食インジェラの原料となる穀物です。)

昨今の物価上昇と人口増加の影響は、こんな郊外の村にまで及んでいるようです。聖地ラリベラからもそれほど離れていないこの村は別の地域に比べモラルがずっと高い場所です。その場所で起きてしまった小さな犯罪。きっとその泥棒も已むに已まれぬ事情があったのだとは思います。しかし、この村の人たちにとっては深刻な問題だったに違いありません。

それでも、彼らはちゃんと解決方法を知っていました。大きな木の木陰にみんなで腰を下ろし、しっかりと話し合いをするのです。きっと、ずっとずっと昔から、村で起きた問題は、こんな木の下で、みんなで話合をしながら解決してきたんだろうな。と思います。

3時間ほど続いた長い議論の結果がどうなったのかは分かりませんでしたが、集会の後にはみんなでローカルビールとローカルブレッドを頂きました。壮大な景色を見下ろしながらの贅沢なひと時です。木陰の風を感じながら、サミットや国連会議も大きな木の下で、パンでもかじりながら話し合ったらいいのになぁ。とぼんやりと考えました。まぁ、さすがにそれは無理ですね。

人々の営みをじっと見守り続ける、大きな木。今年僕らが植えた苗木達も、何十年かの後、こんな存在になってくれることを願います。 (2008年9月)

ラリベラ便り#3

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- Vehicle 4 Life ―

ある日曜日の夕方、連邦警察の警察官が4名、オフィスにやって来ました。なにやら緊急事態の様子。

「マイフレンドズ ワイフ シック。 アイ ワント ユーズ ユアカー プリーズ プリーズ」どうも友達の奥さんが病気で、病院までの搬送にFFFの車(フォードのピックアップトラック)を使わして欲しい、と言う事のようです。しかし、こういうお願いは基本的に断ることにしています。彼らの言う「シック」は本当に判断が難しく、たいしたことがなくても病院までの交通手段としてお願いをしてくるし、酷い時には嘘をついて車を使おうとします。そして何より、トラブルがあった場合の責任は全て自分が負わなければなりません。

そんなわけで、今回も断るつもりでいたのですが、どうも彼らの必死さはただ事ではありません。しかも、かなり緊急事態の様子。言葉の壁で状況がいまいちクリアではないものの、その必死さに負け、FFFのドライバーに運転をさせるという条件で協力をすることにしました。相手は警察だし、うちのドライバーが運転をすれば、とりあえずはそれほどのトラブルはないだろうと。

しかしながら、その日、夜12時を過ぎても彼らは戻ってきませんでした。ドライバーの携帯もずっと不通で一晩やきもきしながら過すことに。 翌朝ようやくドライバーの携帯がつながり状況を聞くと、いまはウォルディアにいるとのこと。ウォルディアは車で4,5時間ほど走った場所にある、ラリベラに比べれば大きな町です。

病院はてっきりラリベラの病院だと思っていたので、かなり驚き、また腹も立ちましたが、ウォルディアまで行かなければならないという事は確かに重病だったに違いありません。もしかしたらウォルディアと言ってしまうと断られると思って隠していたのかもしれません。まぁ、幸い奥さんは無事だったというし、ひとまず文句を言いたい気持ちを抑え、安全運転で戻ってくるように伝えました。
そして、その日の昼過ぎ、ようやく戻ってきたドライバーから
「You've done really great thing, Teppei saved 3 lives!!(本当にいいことをしたね。おかげで3つの命が助かったんだよ。)」と、言われました。

そして同乗していた警官からもひどく丁寧な感謝の言葉。
そこで初めて知ったのですが、この警官の奥さんは妊娠しており、難産の為にどうしてもウォルディアの病院まで行く必要があったようです。そして嬉しいことに、母子共に元気に出産を終えたとのことでした。しかも、生まれてきたのは双子だったそうです!正直なところ、僕は車を使う許可を出しただけだし、途中かなり腹も立てていたので、あまりにも熱烈に感謝されることに少し気まずさを感じましたが、結果的に自分の判断が間違ってはいなかったことに、ほっと胸をなでおろしました。
 
ああ、それから、前日に車のチェックをした時、ボンネットの中に小鳥が巣を作っているのを見つけました。この巣の中には、生まれたての雛が一匹。もちろん巣は安全な場所に移しました。

そんなわけで、この週末、思いがけずに4つの命に関わる、貴重な経験をさせてもらいました。

新しい命が、健やかに育ちますように! (2008年6月)

ラリベラ便り#2

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― ドゥーグー・ドゥーグー ― 

みなさま、「ラスタファリズム」と云う言葉をご存知でしょうか。

ラスタファリズム(ラスタ)とは1930年代にジャマイカの農民を中心に発生した宗教運動の通称で、「アフリカ回顧主義」に基づく社会宗教の一つです。近代になっても植民地化されなかったエチオピアを、黒人の魂の故郷とする考え方で、現在でもボブ・マーリーに代表されるレゲエ音楽を媒体とし世界中で独自の文化を形成しています。そして、エチオピアはこの「ラスタファリズム」の中で、ザイオン=理想郷と呼ばれているとても重要な場所なのです。
 
先日、アディス出張の休日を利用して、エチオピアの中でもラスタの聖地として有名なシャシャマネと言う町に行って来ました。この町はアディスから南へ200キロ程、早朝のバスに乗れば日帰り旅行が可能な場所にあります。ラスタの聖地ということで、バスの中では色々と想像を膨らませていたのですが、実際に町に着いてみると、何の変哲もないのんびりとした町でした。現地の人に尋ねてみると、ラスタのエリアは郊外にあるということです。
 
馬車やバイクタクシーに乗って右往左往していると、幸運なことに、たまたま教えてもらったラスタの教会で、「パパ」と呼ばれる一人の老人にお会いすることができました。
「パパ」は、このコミュニティーのチーフのような存在で、すごく印象的な強い目をしていました。産まれはジャマイカですが、自分のアイデンティティーを探し、このエチオピアに来たそうです。「パパ」からはラスタファリズムについて、本当に色々な話を聞かせてもらいました。 
もともとラスタには興味があったので、ある程度の知識は持っていたのですが、まさに百聞は一見にしかず。実際に多くの人から尊敬されるラスタファリアンに直接お会いして話を聴いたことで、とても多くのことを学ぶことが出来ました。

そして、中でも最も興味深かったのが、彼らが使う楽器で「フンデ」と呼ばれる、中位のサイズの太鼓のリズムの取り方でした。フンデは「1、2。1、2。」のリズムが基本となりますが、これは心臓の鼓動の音と同じリズムだそうです。しかもこのリズムには「Do good, Do good(良い行いをしなさい)」と云うメッセージが込められているそうです。

ラスタの音楽には、繰り返し刻むリズムの中で、実にシンプルで根源的なメッセージを発しているんです。「do good, do good, do good ……」
心臓の鼓動のリズムで、ずっとそんなメッセージを聞いていれば、自ずと良い生き方が出来そうな気がします。すっかりレゲエ音楽の聴き方が変わってしまいました。
ラスタ、深いです。

Jah Ras Tafar I  (2008年4月)

ラリベラ便り#1

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― 停電の夜に ―
 
ここ数日、停電が続いていました。ラリベラには一応電気が通っているとはいえ、まだまだ電力の供給は不安定です。夕方を過ぎると、ふっと家の明かりが消えてしまうことがよくあります。さすがにこちらの人々は停電に慣れているようで、そんな時にも、とくにあわてることなく、何処からかロウソクを持ってきます。そしてそのロウソクに灯をともして、やわらかい光の中で時間を過ごすのです。

―――すべての電気が消えると、不思議と時間がゆっくり流れ始めます。

家族といる人は、ロウソクの灯をみつめながら、いろんな話をします。恋人といる人は、お互いに愛をささやきあったりします。友達といる人は、歌を歌ったり、楽器を弾いたりします。そして、一人でいる人は、じっくりともの思いにふけるんだと思います。

もしかしたら、僕らのような先進国に住む人間にも、時には停電が必要なのかもしれません。電気の光や電機の音の無い、プリミティブな暗闇の中で、ゆっくりとした時間を過ごすこと。きっと素敵なことなんだと思います。

さて、先日僕はこのラリベラの停電に助けられました。長期のアディス出張から一時的にラリベラ事務所に戻ってきた時、僕は色々な課題や仕事を抱えていたため、ずっと余裕の無い状態でした。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ…。そんなことばかり、頭の中でぐるぐるとしていました。
 
そんなときにラリベラはまた停電になったのです。そうなってしまうと、パソコンで書類や資料を作ることも、メールを送ることも、提出書類の確認もできません。やむなく、ランタンとロウソクに火をともし、コーヒーをいれて一息つきました。しばらくぼんやりした後、ふらりと外に出てみると、そこには降るような星空がありました。こんな素晴らしい場所に居るというのに、何をそう焦っているのだろう。おかげで、一旦足を止めスローダウンをすることができました。なんだか、ラリベラの停電に「あんま、無理すんな」って言われた気がします。

しかしながら…、そんなときの停電に限って長くは続かず、約2時間ほどで明かりが戻ってきました。なるほど。休んだら働けって事ですか。よしっ、これからまたがんばろう。ありがとう。停電。(2008年2月)

ラリベラ便り#0

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- ナラダッタの生涯 -

先日ようやくラリベラに戻ってきました。昨年度の会計監査もひと段落し、激流のような日々が徐々にゆったりとしはじめました。水面の下では依然としてすごいスピードで水が流れているようですが、ひとまずは落ち着いて考える余裕も出てきたようです。

さて、約一ヶ月のアディスアベバ滞在を思い返すと、特に印象的だったのは「世界最貧国のエチオピア」と「首都アディスアベバの華やかさ」のギャップでした。アディスアベバには、おしゃれなカフェや高級レストラン、ショッピングモールが多くあり、お金さえあればそれなりの生活が出来る場所なんだと感じました。綺麗に着飾ってる若者もいるし、トヨタのランドクルーザーなんかも沢山走っています。

一方、他の途上国の大都市と同様に、物乞いやストリートチルドレンもかなり多くいました。そして、僕の目には、この国においての彼らが、今まで見たどの国よりも悲惨なものに写りました。盲の人、全部の指が無い人、手足が無い人、そういう人々は当たり前にいます。そのほかにも象皮病で足が何倍にも膨れ上がっている人もいれば、半身が焼け爛れた人もいます。

なかでも僕が一番ショックを受けたのが、風土病なのか、四足で生きている人がけっこういるということです。彼らは足や腰の骨が変形してしまって、直立できない状態で暮らしています。靴を手にはめて、まるで犬のように、アディスアベバの都会で生きているのです。

手塚治虫の「ブッダ」には、ナラダッタという僧侶が出てきます。彼は一人の人間の命を救う為に多くの動物の命を犠牲にしたという罰で、生涯を四足の動物と同じように地を這って過すことになりました。この作品の中でナラダッタの生涯は「最大の苦行」として扱われています。そして、そんな四足の人生を、七、八才の子供が強いられているという事実がここにはあります。ナラダッタは自然の中で動物達と共にその生涯を過ごしますが、彼らは都会のアスファルトの上を這いながら、お金を恵んでもらうことで命をつないでいます。アディスアベバの華やかな世界を知りながら。

こういう現実は正直しんどいです。

僕らはこうした現実に触れた時、そこから目を逸らすか、手を差し伸べるか、どちらかの選択をすることになると思います。そして、多くの人がそうであるように、僕もただ目を逸らすことしかできません。実際に僕らが彼らに出来ることは、その日のための小銭を恵むことぐらいしかないのかもしれません。

見なければ見なくてもすむこと。考えなければ考えなくてもすむこと。自分の中で、そういう結論が出てしまうことが、ものすごく歯がゆいです。

でも、少し前向きなことも考えました。こうした風土病は、泥水や汚れた水を通して感染することがあるそうです。こちらで僕らが取り組んでいる水事業が、こうした病気の感染を抑える一つの手助けになれば、と、ただただ願うばかりです。(2008年2月)

学校校舎建設事業について

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この校舎建設プロジェクトは、外務省のNGO連携無償資金協力と云う資金供与プログラムで、2008年10月15日からスタートしました。プロジェクト名は「ラスタ県ナクテラプ地区における初等教育の質的改善事業」、なんだか硬い名前ですが、要は校舎不足に悩むカッチンマスク小学校に1棟4教室の鉄筋コンクリート造りの校舎を作り、生徒達の学習環境の改善を目指そうというものです。

もともとこのプロジェクトは、京都文教大学文化人類学部の松田教授と、ゼミの生徒達「プロジェクト・ウオプル」が「文化人類学として国際社会に対して何が出来るのか」というところからスタートさせた計画です。学生さんたちが授業を通して外務省への申請書を作り、FFFが事業の実施を請け負っています。そのため、単に校舎を建てるだけではなく、京都文教大学を通じて、日本とエチオピアの学生たちの交流の場にしていくことも、大きな事業目的の一つです。

2009年の2月から建設を開始し、現在では基礎部分が完成しています。本プロジェクトのエチオピア事務所の予算は、約800,000ブル(7,200,000円)。エチオピア事務所の2009年度メインプロジェクトです。

プログ開設です!

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フー太郎の森基金、エチオピア駐在員のブログ開設です!

これから、このブログを通して、現地からの情報発信をしていけたらと思っています。
FFFが取り組んでいる事業の最新情報をカテゴリーごとに更新していきますので、今後ともよろしくお願いします。

ひとまずは、今までの1年半の間に、ニューズレター用に書いた「ラリベラ便り」と、各事業の概要説明を順次アップしていきます。

また、これとは別に、ラリベラでの日々の呟きを綴った、より個人的なブログも書いていますので、よかったらこちらものぞいてみてください!

Tintinnabulation of Ethiopia →
http://ethiopia-lalibela.cocolog-nifty.com/blog/

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フー太郎の森基金について
フー太郎の森基金はエチオピアの世界遺産の町、ラリベラで活動する環境NGOです。ちょっと変わった団体名ですが、フー太郎とはフクロウの子供の名前なんです。
フー太郎の森づくりに興味のある方は、是非お気軽にご連絡下さい!


岡野 鉄平について
現在5代目となるラリベラ事務所の駐在員です。鎌倉生まれ鎌倉育ちの、生粋の鎌倉人。趣味サーフィン、お祭り、ロッククライミング、温泉。1978年9月8日生まれ。

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