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彼らにとっての空

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エチオピアでは、日々に漂う死のにおいが、日本よりもずっと濃いように思います。

死のにおい、といっても、ラリベラのような田舎では、それがとても自然で、決して嫌なものではありません。人々が、生まれ、暮らし、死にます。家畜を育て、殺し、食べます。大きな自然の流れの中、生と死が当たり前のものとして、呼吸する空気の中に含まれているのです。

しかし、アディスアベバのような都会では、状況がまったく違ってきます。都会で感じる死のにおいは、より酷薄で、人為的で、冷たいものです。

先日、路上で息の絶えた少年を見かけました。

数人の人だかりの真中に仰向けに横たわる、10歳くらいの少年。うつろに開いた目は青い空を見上げ、右手は何かをつかもうとしているように見えました。痩せた体に、ボロボロになったズボンとセーターをまとっています。

アディスアベバの路上で生活しているストリートチルドレンです。

路上に横たわる彼には、とくに怪我の跡もありませんでした。飢えで命を落としたのか、もしくは病気で亡くなったのか。理由はわかりません。ただ、目をそらすことの出来ない、惨い、死です。彼の目の中の虚空と同じ場所にある、アフリカの空を見上げ、最後は苦しんだのだろうか。と、ふと、思いました。

もちろん、苦しまなかったはずがありません。
最後だけではなく、生まれてから、ずっと、苦しかったに違いがありません。僕の想像が遠く及ばないほどに。

数年ほど前、僕の大切な友人の一人が、貧困を解消することは、人口爆発、食料危機、エネルギー問題をより深刻化させてしまう。経済の流れに逆行した行動だ、ということを言っていました。確かにそのとおりです。それに対しては、僕も目くじらを立てて異を唱えるつもりはありません。ただ、それはあくまでも、理論上の、そして、一部の先進国にとっての利己的な正論です。路上で息絶える少年を見ても、果たして同じことを言えるでしょうか。

途上国の路上では、こういう無慈悲な日常が繰り返されているんです。

s、i、変換。

キーボードを数回たたくだけで表現できてしまう「死」という言葉。この言葉とそれが指す現実の間には、絶望的なほどに距離があります。どんなメディアで、どんな表現で、この厳しい現実を伝えようとしても、情報は情報に過ぎず、言葉は言葉にとどまります。路上で息絶えた少年の死も、関わることがなければ、データとしてしか知りようがありません。だからこそ、情報の裏側にある現実、データの下にある日常を、もっと知ろうとしなければならないんだと思います。

こんな世界の現実に対し、今はもう、何が出来るかを考える段階ではありません。僕は自分のやり方で、やれることをやります。

Life is hard, my friend...
(友よ、人生は苦難に満ちている。)

以前スワジランドの友達から届いたメッセージが、再び頭の中をめぐります。
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Author:Okano Teppei
フー太郎の森基金について
フー太郎の森基金はエチオピアの世界遺産の町、ラリベラで活動する環境NGOです。ちょっと変わった団体名ですが、フー太郎とはフクロウの子供の名前なんです。
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岡野 鉄平について
現在5代目となるラリベラ事務所の駐在員です。鎌倉生まれ鎌倉育ちの、生粋の鎌倉人。趣味サーフィン、お祭り、ロッククライミング、温泉。1978年9月8日生まれ。

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